2010年4月30日金曜日

覚醒へのアプローチ(1)

 
こんにちは、みのるです (^-^)

今回は、覚醒に向かうアプローチと、我々が行っている1dayと、皆さんについて書こうと思います

前回のメールに続いて、色々な痛みや内的状について書こうと思っていたのですが、そもそも瞑想会で何が行われているのか、そして各人は何をしていくのかについて、書く方が良いと感じました

覚醒に向かうアプローチの中ので、主となることは、以下の3つです

  ・苦しみに繊細になり、自分が苦しんでいることに気が付く

  ・覚醒の状態を一時的に体験する

  ・覚醒の状態に飛び込む

全ての覚醒のアプローチは、表現の違いはあれ、この3つが柱になっています

では、1番目の「苦しみに繊細になり、自分が苦しんでいることに気が付く」から見ていきましょう

通常人は、自分が苦しんでいることに蓋をして、それに意識的にならないようにしています

ところが、何世にもわたりこの状態にあると、あるところでピークがやってきて、これを見ざるえなくなります

こうした人々が、これらの苦しみから逃れようと、意識的に模索を始めるのです

そうして、道へと入ってきます

道に入るとき、普通はマスターや既に道の先を歩む者の所に行き、案内を求めることになります

これについては、良く聞かれる格言「真に道に入るとき、マスターは現れる」というのがあります

さて、それではマスターの元に行くと何が起こるのでしょう

マスターとは、既に大いなる存在と繋がっている者のことです

覚醒という地図無き道の地図を持っている者です

人は、この者といることで、この者を通して大いなる者と繋がることができるのです

そして、より最短な道順で、覚醒へと向かう事ができるのです

さて、これとは別に、道に入ると瞑想を行うことになるのですが、ここで何が起こっているのでしょう

内側に入るとは、今まで見てこなかった自分の感情、思考、エネルギーに意識的になるということです

これらに意識的になると言うことは、それらと面と向かって対峙すると言うことです

今まで見てこなかった、痛みや、不快なエネルギー、常に流れ続けている思考、これらを見はじめることです

それは、ある意味無意識のときより辛い作業になります

たとえるなら、貴方が肩こりだったとします

しかし、自分が肩こりであることを知らない人は、肩がこっているとは思っていません

しかし、これを意識すると、つまり肩がこっていたい事に気がつきはじめると、今まで、気にならなかった痛みを、痛みとして認識するようになるのです

これと同じ事が起こります

繊細になればなるほど、痛みをより繊細に感じるようになります

もちろん、これらの痛みの元を解放したり、ヒーリングを行うことでこれらを解放していきますが・・・

痛みそのものは、果てしなく深いものです

では、何故これらを見つめる作業をするのか

それには2つの理由があります

自分自身により繊細になるとは、内側にある今まで気が付かなかった状態に気が付けるようになるということです

この時、人々は2つのことに気が付けるようになります

一つは、今まで書いてきた痛み

そして、もう一方は、自分自身、愛、至福のエネルギーなど

これら2つは、それぞれに意味を持っています

自分自身、愛、至福のエネルギーなどについては、次の「覚醒の状態を一時的に体験する」の中で書いていきます

もう一つの苦しみを繊細に感じる

これは、貴方の渇望を目覚めさせる起爆剤になるのです

深く入れば入るほど、気持ちの良い状態になります

しかし、未だそこに留まれない為、人々は表層に戻っていきます

故に、深く行けば行くほど、より深い至福を体験し、深いが故に表層に戻るとそのギャップが大きくなります

この開きが、さらなる深みへと向かいたいという、至福の状態に留まりたいという渇望を生み出すのです

そうして、偉大な冒険者が、さらなる深みへと向かうのです

これが、1つめの事です
 
 

2010年4月16日金曜日

両極を超える

 
今日は「楽しむ」です

さて、皆さんは色々なことを楽しんでいると思います

ですが、よく注意してみると、それと同じ位嫌なこともあるはずです

それが何故起こるのかは、前に書きました

そうでう、2元だからです

通常我々は、2元の片側の「楽しむ」を行っているのです

ですから、当然、楽しみのあとは「苦しみ」がやってきます

楽しさがピークを迎えた後、それが薄れていくとに気が付きませんか

そして、どこかのタイミングで苦しみに変わっていることに

2元の片側の「楽しみ」を追い求めると、必ず対局へと移動するのです

では、覚醒とは何か

それは、ある意味でこの2元を超えることです

これだけではないですよ

ですが、目覚めることで、これらを超えていきます

目覚めるとは、無意識から意識的になることです

自分に起こっている事に意識的になることです

これによって、2元を見つめ始めるのですね

そして、これらを超えていく

超えていく方法は、いくつもありますが、その一つに「両極を受け入れる」というものがあります

通常我々は、苦しいと、なんとかこれから逃れ、苦しみが来ないようにしようとする

しかし、何度も書いているように、片側の極だけ来ないようにできないのです

では、どうするか?

この世界は2元であること、片側だけに留まれないことを、真に受け入れるのです

これが起こると、貴方の中で何かが起こります

(実際には、徐々に受け入れていき、ある時完全にこれを受け入れるのが、多分一番多いケースでは
ないでしょうか)

2元を受け入れた時、何が起こるのか

それは、2元との間にギャップ(隙間)ができるということです

この隙間が、貴方と2元を隔てます

今まで、2元に巻き込まれ一喜一憂していましたが、ギャップできることで貴方はこれと距離を置くこと
ができるようになるのです

さて、ここまだ書くと何か、別なところで同じようなことを聞いた気がする方も多いのではないでしょうか

ステートオブプレゼンス、僕の言葉では「自分自身に気が付いている状態」、もしく「自分自身で在る状
態」です・・・

自分自身に留まるとは、別の角度からこれを見ると、自分自身に留まることで、感情や思考との間にギ
ャップ作ることです

では、このプレゼンスによるギャップと2元を受け入れた時のギャップの差は何か

それは、2元全体を超えようとしていることです

2元による「楽しみ」や「苦しみ」を超えた時、一体そこには何があるのでしょう

それは、これらの三文芝居(「楽しみ」や「苦しみ」)から離れるということです

そこから離れた時、貴方は静けさの中にいます

そう、瞑想でたまに味わうあの静けさです

瞑想で、深く入る時味わう静けさ(暖かさ)

瞑想に深く入るとは、感情や思考が徐々に停止していくこと

そうして、貴方は、ふと気が付くのです「なんて静かなんだ」と

2元を真に受け入れた時、何かが起こります (^-^)

それは、言葉では伝えられない何かです (^-^)
 

2010年4月15日木曜日

比較

 
今日は、比較について

これもまた、精神世界ではよく聞く言葉ですね

「比較が苦しみを作り出している」などとよく言われています

比較が苦しみを作ることは、既に皆さん知っていると思いますが、復習を込めて少し書きます

その後で、比較の仕組みと昨日の2元との関連を書きます

まず、一般的に言われている「比較が苦しみを生む」ですが、これは読んでそのままです

誰かが自分より良い家に住んでいるとか

彼には、優しい彼女がいるとか

A君はたくましいが、B君はひ弱だとか

この、比較とは、2つの事象の「差異」に注目することです

では、何故苦しむのか

それは、自分と自分以外を比較するからです

他者と自分を比較し、自分に無いものを見つけ、その感情に巻き込まれてしまうからです

優越感も、考え方は同じですね (^-^)

では、ここから本題

比較とは、どういう仕組みで起こるのか?

これについては、その根源をたどると、この世界が「思い」「空間」「時間」「物」の順で創造されたことによるのですが、これについては、また別の機会に書きます

今日は、純粋に比較する時何が起こっているかです

まず、比較とは2つの事象を比べることです

今貴方の目の前に、イチゴ(笑)が出てきたとします

ここで、比較がおこるのです

ちょっと前まで、貴方の前にイチゴはありませんでした

そこにイチゴが現れる

この2つの事象の差異を、我々が認識することから比較が生じます

つまり、何かが変わることで、その差異を認識することが比較です

例えば、Aの棒を見ています

この時は、ただ棒があります

しかし、この後視点がBの棒に移ると、とたんに比較が始まります

短い、太い、黒いなどなど

これが、比較が起こる理由です

さて、ここまで理解すると、今日言わんとすることに気づかれる方もいらっしゃると思います (^-^)

この比較、それは物事の変化に対する我々の気づきです

そして、この変化は、物質世界にいる以上避けられないと言うことです

何故なら、この物質世界は「常に変化し続けている」からです

一つも永遠に変化しない物はありません

そうすると、どうなるか?

比較を辞めようとしても、それを達成することはできないと言うことです

比較を止めることはできません

それを行おうとしても、それは抑制でしかなく、内側に爆弾をため込むだけです

もし、貴方が真に比較を止めるなら、それは死んだ時です

何故なら、貴方自身も常に変わり続けているからです

さて、ここまで読んで、絶望しないで下さいね

止める事はできませんが、超える事は出来ます

ここら辺から、「2極を超える」と言うところに少しづつ繋がっていきます

ですが、今日は昨日の2元と、今日の比較についてもう少し

昨日2元のことを書きました

2つの極が必ず存在するということ

好きと嫌い

大きいと小さい

などなど

これらの2元は、そうです「比較」によって成り立っているのです

比較する事で、2つの極が生まれるのです

そうすると・・・

2元も、比較と同様止める事は出来ないと言うことです

そして、古来からこれに気がつき、なんとかしたいと四苦八苦した人々がこれを超えていきました

それが、覚者と言われる人々です

そして、瞑想は、そこへと向かう技法です (^-^)

2010年4月14日水曜日

2元

 
さて今日は2元について

苦しみの源、つまり何が苦しみの根源か?、と言うことについて、精神世界では色々と言われています

その根源の中から、今日は2元を取り上げてみます

色々な書物を読んでいると、外側の世界は2元でできているとと言うようなことが書かれています

2元とは、端的に言うと2つの極を持つと言うことです

好きと嫌い

大きいと小さい

男と女

太陽と月

などなど

このように、必ずペアとなる正反対の事象が存在することをさして2元と言います

2元がどうやって誕生したかは、別の機会に書くので、まずはこの2つの極の仕組みを見てみましょう

これをしっかりと理解することが、自分自身の進化を加速させます (^-^)

では、例題です (^-^)

まず、貴方が誰かを好きだとします

この時、貴方が嫌いという感情を誰に対しても持っていなかったとしたらどうなるでしょう?

嫌いという感情を持たない時、その時好きとという感情が貴方の中に存在するでしょうか?

例えば、長い棒と短い棒

短いが無い時、長いが存在するでしょうか?

これが、2元のカラクリです

これらの両極は、必ずペアで存在するのです

ですから、貴方が誰かを好きな時、それを同じ位の嫌いが、貴方の中に存在すると言うことなのです

その嫌いは、まだ表面に出てきてはいないかもしれませんが、それは確実に貴方の意識下に存在するのです

これを端的に表した日本語があります

可愛さあまって憎さ100倍(笑)

貴方が、とても好きな彼のことを、とても怒るのは、好きがそれほど高いと言うことです

もし、それほど好きでない人なら、その人に対して、それほどに怒ることはないでしょう

2元、それは2つの正反対の極を持つ思考、感情、事象などの事を指します

覚醒し、これらを見極める中で、人はこの2元を超えていくことになります

何故なら、好きだけに、人は留まることができないからです

喜びだけに留まることができないからです

必ず、裏側に反対の極が存在し、何かのタイミングで振り子が振れ、貴方は逆の極へと向かってしまうからです

これらのことを、自分の内側の体験として見る時、それを超えたいと思うようになります

2元の片側だけを、落とすことができない事に気がついた時、それを超えるしかないことに、気が付くからです

今日は、ここまで (^-^)
 

2010年4月13日火曜日

外側の世界と内側の世界

前回、1dayのお誘いと一緒に「物事を楽しむ」事について書いたら、3人の方から質問を頂きました (^-^)

さて、どこから書いていこうか、かなり悩むのですが、先ずは我々の状態をざっくりと理解していただければと思います。

我々は、今ここに生きて生活しています。

そして、何かの縁で内へと向かうプロセスに入り始めたわけです。

ここで、よく使われる言葉が、「内側の世界」と「外側の世界」です。

「外側の世界」とは、言わずもがな、皆が今まで慣れ親しんできた世界です。

宇宙があり、星々があり、太陽があり、地球があり、日本があり、ビルが建ち並び、電車がとおり、学校があり・・・

そこには、多くの人々や動物がいます

これが、外側の世界

別名、物質世界です

ここでは、2元の法則が全てにおいて適応されています

が、これについては、後ほど書きましょう

今回は、我々の状態について (^-^)

さて、それで、外側の世界が、わかったかと思いますので、内側の世界について

「内側の世界」とは、目をつむって、外側の刺激から離れた時に現れる世界です

では、内側はどうなっているのか?

これを外側から、順を追って書いてみます

物質世界 → 思考 → 感情 → 魂

です

色々な解釈があります

見る角度やその方の繊細さでも変わりますが、わかりやすく書くなら、先ほどのようになります

一番外側に、物質世界があります

その次から内側の世界です

内側の一番外側に、思考の層があります

その奥に感情の層があり、中心に魂が存在しています

これを、刺激を例に感じてみましょう (^-^)

物質世界で、皆さんの前に「イチゴ」が現れたとします

これを、目と耳と鼻を通して刺激として我々は受け取ります

すると・・・

思考が動き始めるのです

「お、うまそうだ」

「食べちゃおうかな(^-^)」とか

また、それとは別に「勝手に食べると怒られちゃうかな」とか

そして、これの思考を受けて感情が動き出します

美味しそうだという思考から喜びや楽しみの感情が、怒られちゃうという思考から怒りや痛みの感情が・・・

そして、最奥でこれら全てを見守り存在している魂としての自分自身(真我)が存在ましす

先ずは、自分の内側を見てください

物質世界の変化(無いところに、イチゴが現れる)に対して、皆さんの五感が反応し刺激としてそれを内側に運んでいることを

それを受けて、思考が活動し始め

その裏側で、すぐに感情が作動し始めることを

そして、これら全てを知っている人がいることを (^-^)

貴方が、内側を見る時・・・

貴方が感じたり見たことを、内側の誰かが知っている訳です

貴方は、「お、確かに思考が動く」などどそれを見ます

この時、それを見、それを知っている人は誰なのでしょうか?

これが、悟りです (^-^)

先ずは、外側の内側の世界と内側の世界についてでした (^-^)
 
 

2010年4月7日水曜日

両極(2元)を受け入れる

精神世界の色々な書物で「両極」の事が書かれている

そこには、これらが苦しみであることや、これらをを超えることについて書かれている

ここで、我々は注意しなければならない

確かに、この極みを超えることはできる

しかし、超えることと、無くなることは、違うと言うことを真に理解する必要がある

覚醒し、これらの極みを超えた人に、この極みが無いかというと、そうではない

何故なら、物質世界そのものが2元であるからだ

そして、体とマインドは、この物質世界そのものだから

故に、超えることとはできても、それが無くならないことを理解する必要がある

さて、ここで我々は、この極を超えようとするのだが、その奥をもう一度よく見極める必要がある


奥底では、超えることではなく、この極みから逃ようとか、これを消そうとしてはいないだろうか

極から逃れ、これを消す為に、これらの極を超えようとしてるなら、決してこれを超える事は出来ない

何故なら、2元は、この物質世界の本質であり、マインドそのものであるのだから


我々がこれを超える為に、行うこと

それは、2極がこの物質世界の本質であり、無くならないことを真に理解し、この2極としかと対峙することだ

しかと対峙して、これを真に理解する時、受容が始まる


無くならないことを受け入れる

この時、人は、この極を超える

無くならないことを受け入れる事で、これを超えていく


しかし、これを超えても依然極は存在する

しかし、これを超えたるが故、人はそれに左右されなくなる


真に対峙してそれを認め、そして受け入れる

これが、超えることの秘密だ