2011年3月24日木曜日

孤独

Oshoの本を読んでいると、「孤独」という言葉に出くわすことがある

Oshoは、孤独だという

この孤独について、理解しようとしたとき

「自分が、誰にも理解されていない」ことが孤独だと思っていた

別な表現をするなら「自分が誰にも受け入れられていないから」と・・・・

しかしその後、神が自分を見続けていてくれたことをしり、この孤独感は消えた

しかし、最近「孤独」を味わう機会があった

この孤独は何か?

それは、投影によるものだった

人は、私のことを彼らの投影によって見る

彼らは私を見ない

私に投影した、その影をみる

このとき、私の中では

「私を見てくれ、貴方のイメージではなく、私を!!」

という、思いがあり、そして悲しみと痛みが私の中に広がっていた

きっと、この事をOshoは孤独と言ったのだろう

常に、投影された影を見ている人々

Oshoを直接見ることはなく

そして、それがこの世界のありのままの姿であること

それを「孤独」と言ったのだろう
 
 
 

2011年3月23日水曜日

トランスレイト(翻訳)された体験

それでは、実際何が起こっているか見てみよう

例えば、美しい花が咲いていたする

そして、貴方はそれを見付ける

「あ~~、このピンク色すてき」

「形も丸くてかわいい」

「あ、隣の花もかわいい」

実は、貴方は、花を見ていない

その美しさを感じていない

貴方は、何か言葉にすることに懸命で、花を十全にみていない

花を見た事によって起こる感動を、つまり体験を見逃してしまう

その体験(感動)に留まることなく、貴方はそれを言葉に換え始める

貴方は、貴方の中に起こった感動という体験をすてさり、それを言葉で描写したものを記憶として持ち運ぶ

例えて言うら、体験するはしから、その体験の感想文を書きまくっているのだ

どこが良かったのか、何が悪かったのかを

書くことに夢中で、その花を貴方は見ていない

書くことで貴方は体験そのものを捨て去る
 
 
 

2011年3月22日火曜日

『体験』

 
さて、ここまでのことを簡単におさらいする

外側の世界と内側の世界が存在する

外側の世界とは、この地球や宇宙などのこと

内側の世界とは、思考や感情などがうごめく世界

では、体験とは?

この外側世界や内側の世界での体験

例えば、自転車に乗る、キスをする、美味しいご飯を食べるなど

上司に怒られたことを頭の中で思い出す、明日の計画を立てるなどなど

そして、これらとは別に本当の体験が存在する

それは、これら全てを体験している「体験者」が存在するということ

その彼がしている体験、それこそが「真の体験」

これを体験する為には、真の自己を見付けるしかない

それは何故か?

もし、貴方が「真の自己」でないなら、貴方は真の自己がしている体験を知るすべはない

貴方は、何かを体験しているが、それは非常に不完全な体験

正確に言うなら、貴方は体験を翻訳することにやっきになっている
 
 
 

2011年3月19日土曜日

真の体験をするためには

真の体験とは、言葉などにトランスレイトされる前のもの

これを体験する為には、全ての体験者である真の自己になる以外方法がない

なぜなら、この真の自己こそが、全ての体験者であるからだ

別な角度かからいうと、覚醒する前の人は、そのほとんどを思考や感情に巻き込まれて生きている

つまり思考や感情から分離するすべを知らない

正確に言うなら、自分が思考や感情に巻き込まれて生きていることすら知らない

覚醒とは、ある意味、これら思考や感情と距離をとることを意味する

距離をとることで、人は巻き込まれたいたことを初めて知り、思考や感情に巻き込まれない生き方を学び始める
 
 
 

2011年3月17日木曜日

真の体験

 人は、外側の世界で、触覚、味覚、聴覚、嗅覚、視覚などによる様々な体験をします

歩く体験

飴をなめる体験

自転車に乗る体験

SEXの体験

いくら書いてもきりがなく、新たなる体験が日々地球上で作られています

そして、内側の世界に向かうことで、今まで経験したことのない、思考や感情の動きや様々なエネルギー状態の体験をします

今日仕事で言い合った課長との不快な感情の再体験

彼女のとの楽しい感覚の再体験

初めての境地のエネルギー体験

等々

人は、内側で起こるこれら体験に目を見張り、これらに魅了されていきます


では、さらなる体験とは、「真の体験」とは何でしょ?

それは、これらを体験してる『体験者』が存在していると言うことです


魂としての貴方が、真我である貴方が存在し、その貴方が体験していることこそが真の体験です

体験とは、他の誰かではなく、貴方がしている体験のことです


そして、この真の体験を認識する為には、迷子になっている真の自分を見つける以外に方法はありません

貴方が真の自分にならない限り、自分自身がしている体験を体感することは出来ないからです
 
 
 

外側の体験と内側の体験

 
体験は、大きく分けて2種類あります

一つは、皆さんが非常によく知る世界、つまりこの地上で起こることに対する体験です

初めてのおつかい、自転車、パソコン 等々

では、それ以外にいかなる体験があるのか?

覚醒(悟り)を志し瞑想を始める時、人は新たな空間へと誘われます

それは、内側の空間です

この空間では、思考や感情が渦巻き、そこに自分の姿が見え隠れしてきます


人は、地上に生まれ落ちた時、外側の世界(地上の世界)にめを見張ります

その色彩、絶え間ない動き、いろいろな感触(5感)、自転車に乗るなどの体験 等々

そして、内側の世界に入ったときも、人はこれに目を見張ります

感情や思考の動き、様々なエネルギー体験 等々

体験には、内側と外側の体験があるのです


しかし、さらなる体験、『真の体験』が、その奥に隠れています
 
 
 

2011年3月16日水曜日

祈り

 
すでに多くの方が祈りを始めていると思います
 
ここで、これから祈りを始める方に、その方法を伝えたいと思います
 
まず、「祈り」と「お願い」が違うことを理解してください
 
「~して下さい」「~がほしいです」「~が・・・・」と言うのは、お願いです。
 
別な表現をするなら「要求」です
 
では祈りとは何か?
 
まず、被災地の状況や心からの呼びかけなどハートがきゅんとした時の画像や音声を思い出して下さい
 
その時のハートの感覚に留まって下さい
 
そして、画像や音声を手放します
 
ハートのきゅんとした間隔に留まり、これと一つになります
 
この感覚は徐々に貴方全体へとひろがりまう
 
やがて、この感覚は愛へと代わり、貴方は愛と一つになります
 
 
貴方が愛と一つになるとき
 
貴方が愛そのものなるとき
 
全てのものが癒やされます
 
 

2011年3月13日日曜日

体験

ここ半年ほど、1dayリトリートやプライベートリトリートなどを行い、充実した日々を送る反面、こちらの更新が滞っていましたが、そろそろ再開していきます。

それでは、再開1発目は「体験」です。

我々は知的理解ではなく、実際の覚醒へと至る道を開示しています

この違いは何か?

それは、知的理解ではなく、「体験」を重視し、それを伝えていることです

それでは、何故この「体験」を重要視するのか

もし貴方が幸せになりたいと思っているとします。

もし貴方が、幸せなる空想をいたり、幸せについての本を読んだりしても、貴方は決して幸せになることは出来ません

何故なら、貴方が『幸せな“体験”』をしていないからです

知識を集めたり空想したりしても、貴方自身が幸せの体験をし続けていない限り、貴方は幸せではありません

これと同様に、覚醒について如何に空想しようが、誰かから覚醒についての知識を得ようが、貴方が覚醒の体験をしていない限り、貴方は無明のままです

全ての鍵は『体験』です