2011年4月1日金曜日

全なるもの と 個なるもの vol.5

ブラフマンとアートマン

それは、コインの裏表

全で有り無であるブラフマン

そして個であるアートマン

アートマンは、完全な個であるが故、全で有り無である

無である仏陀の教えと、魂であるイエスの教えの出会い

ここで人は究極なるものになる
 
 
 

全なるもの と 個なるもの vol.4

ブラフマンとアートマン

コインの裏表

人が『完全なる個』を体験すると何が起こるか

つまり『十全』に個を体験すると何がおこるか

貴方が「個」を十全に体験し始めると、貴方は拡張し始める

貴方の個が、全てへと向かって拡張し始める

そして、貴方は全ての場所に、余すところなく存在する

このとき、ビックバンが起こる

何が起こるのだろう

貴方が消えてしまうのだ

貴方、つまり個である自分とは、自分と他者がいて初めて認識が可能となる

ところが、完全なる個になると、そこには貴方を指し示す他者が存在しない

全てが貴方になった瞬間、貴方は自分自身を知るすべがなくなるりビックバンが起こる

貴方を指し示す、他者がいなくなることで、貴方自身が消滅する

貴方は、個で有り、個であるが故貴方は全である
 
 
 

全なるもの と 個なるもの vol.3

ブラフマン と アートマン

全 と 個

すなわち、無 と 魂

これらは、コインの裏表をなす

太古の昔に語られたブラフマンとアートマン

現代においては、仏陀の道とイエスの道

2000年にこの2つが出会い、一つとなった

どちらか片方では、コインの片側のみを知るだけとなる

では、アートマンとブラフマンが何故コインの裏表であるか
 
 
 

全なるもの と 個なるもの vol.2

全なるものであり、無であるブラフマンと一如であるアートマン

アートマンのことをヒンドゥー教では、

意識の最も深い内側にある個の根源である真我
知るものと知られるもののを超えた個の中心にある認識をするもの

と教えている

知るものと知られるものを超えた認識するものである真我とは

我々がよく知ることで言うなら「魂」でり、「愛」である

これを説いたのが イエス

魂としての個人であり、神の御子であり、愛で創造されているもの
 
 
 

全なるもの と 個なるもの vol.1

全なるものとは、それを提示したのは?

これは、一般的には非2元と呼ばれる

全てが1つであるという教え

これは、non-dualpassとも言われ、ウパニシャッドが提唱している教え

我々日本人になじみ深い見方で言うなら「禅」

つまり無の境地

個が消え全てが一つとなる境地

仏陀が説き達磨によって伝えられた秘境

仏陀生誕の地であるインドでは、なんと言うのか

ブラフマンという

宇宙の根源、あまねく全てに浸透しているもの

このブラフマンを擁するヒンドゥー教では、なんと言っているか

アートマンとブラフマンは同一(等価)である(梵我一如)と言われている


では、全てであり無であるブラフマンと一如であるアートマンとは何か