2009年12月28日月曜日

悟りとは

〔2009年12月28日〕

覚醒とは何だろうか?

それは単に、内側に意識を向け始めること

それが覚醒のスタートラインであり、第1歩である

我々は何世にも渡り、外側を見続け、外側と関わり合ってきた

覚醒とは、単に内側を見はじめることだ

内側を見はじめた時、そこには今まで見たことも体験したこともない世界が広がっている

あとは、外側の世界と関わってきたように、内側の世界と関わるだけ

関われば関わるほど、色々なところが見え、より繊細な体験が出来るようになる


外側の世界は、拡散している世界ということができる

現に宇宙は膨張している

それは、収束に向かうのではなく、ただただ拡張を続ける世界

それ故、極めることが出来ない

そして我々の体が境界となり、内側の世界が広がる

内側の世界は、外側の世界より広く無限であるが、それは1点に向かって収束している世界である


これらの世界は山にたとえることが出来る

山の五合目から下を見た時、山裾が広大な大地へとつながっている

見渡すことの出来ないほど広大な大地がその下に広がっている

それは下へ行けば行くほど広がっている為、極めることが出来ないどころか、下へ行けば行くほど、ど
んどんと拡散していく


目を転じて上を見た時、そこには山の頂がある

そして、全ての道はこの板垣へと向かっている


そして、目をさらに転じる時、そこには、大地より広大な、大地おも包み込む空がある


頂へたどり着くと何が起こるのか


頂に立った時、人は初めて空を、全てを体験する

自分の足下以外は、全て空となり、自分を遮る物がなくなる

ここで、人は空を体験し、それと一つになる



これが悟りである


 

2009年11月2日月曜日

投影

 
〔2002年の日記より〕

誰かが何かをしたとき、その人の行動と自分の思いとの間に乖離が出来る
この乖離で僕は苦しんでいた

「この人は、こうするはずだ」って・・・

そういうふうに、他人に対して、他人のイメージを作り上げ、それを、その人に勝手に貼り付ける

つまり、他人(自分以外の人や物)に対して自分でイメージを作り上げ、そのイメージをその人に投影する

でも、本当は違うんだ、もう一つ奥が有る

気分自身に自分のイメージを貼り付けている

例えば、僕はこうするとか、僕はこれをやったとか
つまり、僕はこれだけのことをやった
そして、彼女はそれを知っているのだから、こうするべきだ、こうなるはずだって

例えば、僕はこういうことを他人にはしない、なのにあの人はそれを僕にやった、とか・・・

このギャップ・・・
そして、人間関係の苦しみに落ちていく

さて、最初にイメージを貼り付けたのは・・・
最初にやったのは、自分に対してイメージを貼り付けること

自分で自分にイメージを貼り付けて、そのイメージをとおして、他人のイメージを作り上げ、それを他人に貼り付ける・・・

それが,投影の始まり・・・
これを「自己投影」と言うのだろうか???
 
 
 

2009年10月30日金曜日

だれと格闘している?

〔2002年の日記より〕

今日、面白いことに気がついた
いつもいつも苦しい

で、気がついた
僕は、僕の人生をまだ受け入れていないって
ず~と、ず~と、僕は僕の人生と格闘していたんだって

僕の人生はこんなもんじゃないって

僕が僕の人生を受け入れなくて、だれが僕の人生を受け入れるんだろうね
僕の人生は僕の物だし、僕は僕の人生そのものなんだよね

自分の中に分裂を作ってた
受け入れることをしないで分裂を作ってた

これじゃいくらがんばっても辛いわけだ
自分で自分と格闘してたんだもの

ん・・・
僕の人生を受け入れるんじゃないね
僕は僕の人生そのものなんだ

2009年10月9日金曜日

さがしもの

 
〔2002年の日記より〕

小さい頃からわからなかった、ここはどこなんだろう?
ここで何をしているのだろうって
とてもとても疎外感を感じてた

自分の気持ちを伝えようとしても伝わらず、人の気持ちを理解しようとしてもわからない
一人がいやだから、何度も何度もやってみた
何度やってもだめだった

何度も何度も傷ついた
何度も何度も傷つくうちに、いつの間にか仮面が出来た
知らないうちに仮面が出来た

それでも僕はもがいてた
こんな世界は嫌だって

何で心と心が通じ合わないのって

生まれた頃は、親とは心が通じ合ってると思ってた
友達とは通じるんじゃないかって
彼女となら
でも、やっぱりだれとも通じない

ねえ、友達ってどういうグループのことか知ってる?
興味の対象が同じ方向を向いてる人たちの集まり
その人達が情報を交換する場所

同じような方向を向いているから、彼らは僕の言うことを聞いてくれる
だけど、ぼくの興味が薄れたら、僕が違う方向を向いたら、話すことはなくなっちゃう
彼とは気持ちが通じなくなっちゃう

でも違うんだよね!
もともと通じてないの
ただ、同じような方向を向いていただけ

ねえ、ポジティブって知ってる?
この世に生を受けてから、誰もポジティブな生き方を教えてくれなかった
ポジティブな生き方をしたこと無いから、意味がわからないんだよね
ポジティブ、ポジティブっていうけれど、だれもその意味をしらない

ねえ、楽しいって知ってる?
会社に入ったら上司が言った「楽しく仕事をしましょう」って
だけど、僕には「楽しい」がわからない
新しい体験をしているときは、初めてのことをやってるときは、興奮するよ
だけど楽しいわけじゃない
ただ、興奮してるだけ

スピード・スリルをもと求めて色々やった
興奮と楽しいの区別がつかなかったから
大きくなったら新しい体験は減っていった
そして気がついたんだ
ただ興奮してただけだって
楽しいわけじゃないんだって

何で僕は、人と心を通わせようとしたのかな?
傷ついても、何であんなに必死だったんだろう?
何で人のことをわかろうとしたのだろう?

今わかったよ
人と心が通じ合うということは、その人から愛されるということなんだね
僕は誰かに愛してほしかったんだね

やっときがついた

愛してほしかったんだ!!

あはは
わかっちゃった

僕の探し物が一つ見つかった
 
 
 

2009年10月7日水曜日

否定(混沌)

 

〔2002年の日記より〕

人はいつの間にか『否定』というロジックを潜在意識の奥深くに作りこんでいる。

小さい頃、まだ純粋であった頃・・・。
自分の考えを表に出すと、他人にそれを否定される。
これが繰りかえされる。

そのうち、自分で自分の考えをを否定するようになる。

今日は○○ちゃんと遊ぼう~。でも断られかも・・・。
今日は海に行きたいな~。でも、お母さんは反対するかも・・・。
お母さんが反対したら、××といって(否定して)海にいけるようにしよう。

こうして、自分の思いが何であるか分からなくなる。

自分の思いや考えを否定し、そしてそれをまた否定し・・・

こうして人は混沌へと入っていく。

自己を確立し、真我(魂としての自分)に触れることが増えると、人は真の思いを理解するようになる。

自分自身の本当の思いを知るようになる。