2010年4月15日木曜日

比較

 
今日は、比較について

これもまた、精神世界ではよく聞く言葉ですね

「比較が苦しみを作り出している」などとよく言われています

比較が苦しみを作ることは、既に皆さん知っていると思いますが、復習を込めて少し書きます

その後で、比較の仕組みと昨日の2元との関連を書きます

まず、一般的に言われている「比較が苦しみを生む」ですが、これは読んでそのままです

誰かが自分より良い家に住んでいるとか

彼には、優しい彼女がいるとか

A君はたくましいが、B君はひ弱だとか

この、比較とは、2つの事象の「差異」に注目することです

では、何故苦しむのか

それは、自分と自分以外を比較するからです

他者と自分を比較し、自分に無いものを見つけ、その感情に巻き込まれてしまうからです

優越感も、考え方は同じですね (^-^)

では、ここから本題

比較とは、どういう仕組みで起こるのか?

これについては、その根源をたどると、この世界が「思い」「空間」「時間」「物」の順で創造されたことによるのですが、これについては、また別の機会に書きます

今日は、純粋に比較する時何が起こっているかです

まず、比較とは2つの事象を比べることです

今貴方の目の前に、イチゴ(笑)が出てきたとします

ここで、比較がおこるのです

ちょっと前まで、貴方の前にイチゴはありませんでした

そこにイチゴが現れる

この2つの事象の差異を、我々が認識することから比較が生じます

つまり、何かが変わることで、その差異を認識することが比較です

例えば、Aの棒を見ています

この時は、ただ棒があります

しかし、この後視点がBの棒に移ると、とたんに比較が始まります

短い、太い、黒いなどなど

これが、比較が起こる理由です

さて、ここまで理解すると、今日言わんとすることに気づかれる方もいらっしゃると思います (^-^)

この比較、それは物事の変化に対する我々の気づきです

そして、この変化は、物質世界にいる以上避けられないと言うことです

何故なら、この物質世界は「常に変化し続けている」からです

一つも永遠に変化しない物はありません

そうすると、どうなるか?

比較を辞めようとしても、それを達成することはできないと言うことです

比較を止めることはできません

それを行おうとしても、それは抑制でしかなく、内側に爆弾をため込むだけです

もし、貴方が真に比較を止めるなら、それは死んだ時です

何故なら、貴方自身も常に変わり続けているからです

さて、ここまで読んで、絶望しないで下さいね

止める事はできませんが、超える事は出来ます

ここら辺から、「2極を超える」と言うところに少しづつ繋がっていきます

ですが、今日は昨日の2元と、今日の比較についてもう少し

昨日2元のことを書きました

2つの極が必ず存在するということ

好きと嫌い

大きいと小さい

などなど

これらの2元は、そうです「比較」によって成り立っているのです

比較する事で、2つの極が生まれるのです

そうすると・・・

2元も、比較と同様止める事は出来ないと言うことです

そして、古来からこれに気がつき、なんとかしたいと四苦八苦した人々がこれを超えていきました

それが、覚者と言われる人々です

そして、瞑想は、そこへと向かう技法です (^-^)