2010年5月21日金曜日

覚醒へのアプローチ(3)

 
さて、本日はアプローチの3番目

覚醒の状態に飛び込むです

先ずは、ちょっと復習から

先のメールに書いたように、覚醒にアプローチとして2つの事柄がある

・苦しみに繊細になり、自分が苦しんでいることに気が付く

・覚醒の状態を一時的に体験する

通常人は、自分が苦しんでいること自体に蓋をしてしまい、苦しんでいることを忘れてしまう

のど元過ぎればなんとらや・・・

これなどは、まさにそのこと

しかし、何世にも渡り苦しんでいると、いつかこれを見ざる得ない時がくる

これと正面切って対峙せざる得ない時がくる

この時から、人は道を模索し始める

道に入る前、そして道に入ると、色々な内的体験を重ねるようになる

この、内的体験は、一時的な体験である

何故なら、この体験は過ぎ去ってしまい、また以前の自分へと戻ってしまうから

故に一時的という

しかし、この体験は、我々が地図無き内側の探求の道標となる

この体験が、人に今まで味わったことのない、気持ちの良い状態があることを教え、人は、この体験を
するが故、今とは違う内的状態へと進んでいく

これらの状態を家にたとえるなら、家に窓あることに気が付き、外を見て

そして、窓が開くことに気が付いてこれをあけ、外の世界の香りをかぐ

しかし、未だ人は家の中にいる

さて、それでは、この後どうなるのか

それは、あなた自身が意を決して外に出るしかない

外に出て、今まで慣れ親しんだ家を後にするしかない

それは、誰かが行ってくることではない

ここが、瞑想をする事との違いとなる

リトリートなどで瞑想すると、今まで体験したことのない状態へと誘われる

マスターを通して、その香りを貴方はかぐことができる

より深くより濃密な香りがやってくる

そう、内側へと向かうことで、それは「やってくる」

しかし、家の外へ出ることは、「やってこない」

家の外へは、貴方が自分で出て行くしかない

これが、違いだ

これを、別な角度から書いてみる

我々は、1dayを通して、皆さんに内的状態を伝えている

座る瞑想、活動する瞑想、それらと我々の内側にあるエネルギー状態を皆さんに体験してもらう

我々を通して、何かが皆さんに向かい、それを皆さんが体験として、理解として受け取る

これによって、皆さんは一時的な体験、すなわち一瞥を得る

これを通して、我有りの状態を体験してもらい、それを深めることで、自分でその状態にいけるように
Workする

愛も同じ

これが、我々が行っている事

それは、皆さんがそこへ行く事が出来るようにすること

ここまでは、我々の体験と、我々を通して起こる何かによって、起こすことができる

もちろん、皆さんが、ハートを開き、我々に心を許すことで、それは起こる

そうして、皆さんは我有りや愛にたどる着く方法を学ぶ

しかし、この時点では、未だ人は家の中にいる

何故なら、これらの体験は一時的であり、必ず過ぎ去ってしまうからだ

そして、我々ができるのはここまで

覚者などがよく言う言葉で、「覚醒の淵まで連れて行くことができる」と言うのがこのこと

しかし、この淵に飛び込むことは、貴方しかできない

貴方を後ろから押すことは、誰にもできない

ここが大きな境目となる

貴方は、我有りの状態を知っている

その状態になることができる

あとは、その状態であることを、行うしかない

ここで注意していただきたいのは、その状態に居続けようと努力する事を指しているのではないというこ


この状態は、努力が止まると終わってしまう

ただ、その状態に留まることを決意しそこに行くだけ

これを指して、「貴方自身が、それそのもになる」と言う

最後は、貴方が自分自身で事を起こさなければならない