さて、今日のお話は「ノー・シングネス(無)」です
通常は「ナッシングネスn o t h i n g n e s s」と言うのだが、和尚はこれを「ノー・シングネスn o - t h i n g n e s s 」としたいと言った
では、nothingnessというとどういう状態をイメージしますか?
nothingnessというと、「そこに何もない状態」をイメージしてしませんか
そこから来る感覚は「空虚」です
しかし、我々が使う「無」とは、決して空虚ではない
無とは、全ての源泉を意味する
故に「物が顕れる前の状態」と理解する方が正しい
ここには、全てが詰まっている
ここから全ての事柄が顕れ出す
この無から全てが生まれる
だとしたら、どうしてここが空虚であれるだろう
無とは、全てを含んだとても豊かな状態だ
それは、まだ何かの形を取ってはいないが、形を取っていないからこそ、非常に豊だ
我々が瞑想で、時たまこの無へと入り込むことがある
源泉と言われている場所だ
全てが生まれる、その源
ここに入ると、人はリラックススする
自分自身が溶けて無くなる
正確に言うなら、リラックスが極限に達し、貴方を縛っている最後の固まり、つまり貴方自身が溶けたとき、それは顕れる
十全な暖かさの中、一切の緊張が無い状態で、形すら無くした貴方がそこに漂う
漂うという言葉さえ、適切ではない
何故なら、漂うと言うとき、漂う為の物、例えば海のような媒体と、そこに漂う貴方という2つがイメージされてしまうからだ
正確には、そこには何かを仕切る物は何も無い
それが無だ
無は、何も無いのではなく、形になる前の全てが詰まった状態だ
無という言葉は、そこに形となる物が「無い」故に「無」という
形が無いだけで、そこには形になる前の豊かな何かが充満している