2010年6月1日火曜日

「ノー・シングネス(無)」

さて、今日のお話は「ノー・シングネス(無)」です

通常は「ナッシングネスn o t h i n g n e s s」と言うのだが、和尚はこれを「ノー・シングネスn o - t h i n g n e s s 」としたいと言った

では、nothingnessというとどういう状態をイメージしますか?

nothingnessというと、「そこに何もない状態」をイメージしてしませんか

そこから来る感覚は「空虚」です

しかし、我々が使う「無」とは、決して空虚ではない

無とは、全ての源泉を意味する

故に「物が顕れる前の状態」と理解する方が正しい

ここには、全てが詰まっている

ここから全ての事柄が顕れ出す

この無から全てが生まれる

だとしたら、どうしてここが空虚であれるだろう

無とは、全てを含んだとても豊かな状態だ

それは、まだ何かの形を取ってはいないが、形を取っていないからこそ、非常に豊だ

我々が瞑想で、時たまこの無へと入り込むことがある

源泉と言われている場所だ

全てが生まれる、その源

ここに入ると、人はリラックススする

自分自身が溶けて無くなる

正確に言うなら、リラックスが極限に達し、貴方を縛っている最後の固まり、つまり貴方自身が溶けたとき、それは顕れる

十全な暖かさの中、一切の緊張が無い状態で、形すら無くした貴方がそこに漂う

漂うという言葉さえ、適切ではない

何故なら、漂うと言うとき、漂う為の物、例えば海のような媒体と、そこに漂う貴方という2つがイメージされてしまうからだ

正確には、そこには何かを仕切る物は何も無い

それが無だ

無は、何も無いのではなく、形になる前の全てが詰まった状態だ

無という言葉は、そこに形となる物が「無い」故に「無」という

形が無いだけで、そこには形になる前の豊かな何かが充満している