2016年10月26日水曜日

”覚醒” 自分自身とそれ以外のもの



我々は、人の層をおよそ3つに分ける 一番外側が肉体で、肉体は5つの感覚器官を使って情報を感知する 五感には、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚があり、このうち触覚は全身にあるが、触覚を含めた5感は頭部に集中している

次が、思考、感情、比較、判断およびこれらと対になる記憶の層だ 我々が日々住み着いてるのがこの層だ ここでは、Inputから過去の記憶が呼び覚まされ、それに基づいてどう対処するか考え、メリット・デメリットを考慮して判断が行われている。

記憶
・日常起こったことを、映像と その時の感情として記憶している
 また、日常起こったことに対し、どうすべきであったかという記憶も持つ
・親や学校の先生、地域の人々、宗教などによって教え込まれた情報
 例えば、親は敬え、年上は敬え、人には親切にしろなどの情報
・特に衝撃的な情報は、強烈な記憶として残り、これをトラウマという


Input
・身体からきた五感の情報(映像、音、味、匂い、感覚)
・五感から誘発された映像と感情の記憶
  例えば目と耳が子供がわめく情景を捕らえ、それによって先日の通勤
  時横で母親に抱かれた赤ん坊が泣き叫んでいたの思い出すと同時に
  その時の不快な感情も思い出す など
・頭の中で考えていた思考がInputになる場合もある(ほとんどがこれ)

思考
・Input(映像と感情)をベースに、どう対処すべきかを考える
・この時、過去の出来事を参考に対処法が練られる
 何故なら、人は知らないことを参考にできないからだ

判断
・思考で考えられたメリットデメリットから、対処法を決定する
・この決定も過去の出来事を参考にして決められる
 個々も同じで、人は知らないことを参考にできないからだ


ここで、問題となるのが、思考と判断の基となるものだ 我々は何を基にして思考し判断しているのか考察してみよう? 例えば、商談先に行く途中、目の前で少女が転んだとする 頭の中で何が起こるだろうか

・女の子に手を差し伸べていると商談の時間に遅れ仕事を逃す可能性
 がある
・僕は男の子で日本人でキリスト教徒だ 目の前のかわいそうな人を
 ほっては行けない
・泣いてる子をほっていくのは、良くないことだ
などなど

これらは全て、過去 誰かから教えられて事や、本などから得た知識、または自分人生で体験したことで構成され、各人固有のパターンを形成している。 因みに、このパターンは、各人によって異なっている、つまり人によって、行動パターンが異なということだ

さて、本題に戻るが、我々の思考や判断の基となっているがこのパターンであり、このターンは、過去の出来事によって構成されたある種の反応パターンだ つまり人は、過去の反応パターンの中で生きているということだ

これには2つの問題がある 1つは人が常に、つまり生きているほとんどの時間を過去の中で生きているということ それは、人が過去の中で生きていることに気がついていないとも言える 2つめは、あなたがこれと同化していると言うことだ あなたがこれと同化してるが故、あなたはこれに気づけない それどころか、肉体すら同化している

あなたは、肉体と自分の間にギャップを作り、そして思考や感情との間にもギャップを作らなければならない ここで注意しなければならないのは、このギャップの作り方だ 例えば肉体の痛みを感じ、これは肉体が痛いのだと起想しそう感じるのは、実際の半分でしかない ここが要点になる 肉体が痛がってるのを認識すると同時に「本来の自分」を感じて初めて隙間ができる 肉体が痛がってるの感じ認識しつつ、自分自身に留まり自分のエネジーを感じそこに留まることで、あなたは初めて、自分と肉体の痛みが別物だと体験的に理解する事ができる つまり本当に溝ができたのだ

思考や感情も同じである 何かに怒るとき、悲しむとき、それは本当に貴方自身なのだろうか? それは、過去の出来事に起因してはいないだろうか いつも同じような状況で怒らないだろうか、悲しまないだろうか・・・  それらを、「これは私ではない」と起想し認識し、同時に自分自身に留まり自分のエネジーを感じれたなら、あなたに大いなる恩寵が降り注ぐだろう


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