2016年10月6日木曜日

人格(パーソナリティ)と個性


人格とは、人が持つ色々な側面に対応する顔だ。例えば、父親、母親、子供、社長、課長、平社員、日本人、仏教徒、彼氏、彼女・・・ それぞれに人は、個別の顔をもつ。この個別の顔のことを人格という。

では、この人格をもう少し掘り下げて見てみよう。例えば、あなたが会社で部下と接しているとき、あなたはどんな態度だろうか?部下に自分の言うことをきかせなければならないし、級も上なので、上司として対応しているだろう。しかし、その後社長に仕事の話をしに行く時はどうだろうか?

人格と簡単にかたづけてしまうが、それぞれの顔の時、それに付属する思考パーターンや、態度、プライドなどがある。父親の時の顔・言葉遣い・考え方・態度、部下に対するときの顔・言葉遣い・考え方・態度、級友と会っているときの顔・言葉遣い・考え方・態度、などなど、人はとても多くの人格(顔・言葉遣い・考え方・態度など)を持っている

そして、これらは、成長する過程で他人から教え込まれたり、自分の体験から身につけたり、本やパソコンなどから仕入れた情報の集積で構成されている。

部下の時(社長に会うとき)はこうする、上司の時(部下と相対するとき)はこうする、夫の時はこうする・・・・、あなたはとても沢山のパターン毎の 我 を持っている。

これに対し、個性とは不可分なものをさす。個が有する性質のことだ。これは、ユニークさのことだ。ここでいうユニークさとは、我(エゴ、人格)を超えたとき、素に私として存在するときに有する個性のことだ。これはユニークさだ。このユニークさは同じものが2つとしてない。例えば、佛陀、キリスト、OSHO、Aziz、Houman皆ユニークだ。

個々に、それぞれの味わいが在る

そして、各人が己のユニークさで、世界に反応する。

佛陀は佛陀のユニークさで、キリストはキリストのユニークさで、OSHOはOSHOのユニークさで、AzizはAzizのユニークさで、HoumanはHoumanのユニークさで、世界に反応する。

個性(ユニークさ)とは、我としての私を超えて、純粋な「Me」であり「ただ在る」時に顕れる。
OSHOは、人格を分離と表現し、個性を不分離と表現する。


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