2016年10月4日火曜日

OSHO 究極の錬金術 Ⅰ を読んで 聞き方


OSHOは言う、聞き方には、知性で聞く、感覚で聞く、存在で聞く 3つの方法があると。

OSHOは聞き方を3つに分けて表現した。最初の知性で聞くとはどういう聞き方を指しているのだろうか。通常我々が会社などでおこなう聞き方はこの知性で聞く方法だ。もちろん感覚で聞いたり、存在で聞くこともあるが、その大半はこの知性で聞く方法だ。知性で聞くとは、即ち論理的に聞くということで、筋が通っているか、メリットデメリットはどうなっているか、道筋は間違っていないかなどをチェックしながら聞くことで、これを違う角度から表現するなら、自分の意見と相手の意見を戦わせているとも言える。自分の意見を相手に理解させ受け容れさせせようと躍起になっている。それは戦いであり、自分以外を信じていない、自分以外を疑い否定する事だとも言える。そしてこれは、単に情報でしかない。そこに体験が存在していないからだ。

2番目の聞き方は、感覚で聞く。それはハートを通して、感覚を通して聞くことだ。それは頭を使って聞くのではなく、感覚を使って聞くことで、音楽を聴く場合などがこれに当たる。音楽はそれが奏でる旋律を感受性で捕らえて初めて聞くことができる。もし、音楽の構成を考えたりしたなら、あなたはそれを聞くとがでいない。そして感受性で聞くとき、あなたは初めてそれを体験することになる。感受性で聞くとは、音楽を聴くことを自分に許し、音が内側に入ることを、それが内側に拡がり満ちるのを許すことで、この時初めて聞くという体験をする。もしあなたが会社で相手の気持ちや思いをくみ取りながら話を聞けているなら、あなたはハートを通して、感覚を通して相手の話を聞いている。言葉が伝えるのもではなく、その裏側にある、気持ちや、思いや、相手の誠実さなどを感じ受け取っているなら、あなたは感覚で聞いている。

3番目は存在で聞くことだ。あなたは、あなたの全存在で聞かなければならない。しかしあなたは、自分の全存在を知らない。そこに問題がある。そして問題と言うなら感覚を通してく聞くことにも問題がある。そもそも人は、感覚で聞くことが非常に難しい。何故ならどれが思考で、どれが純粋な感覚かを理解していない。それ以前に純粋な感覚で聞くことができない。何故なら、あなたが感覚を通して聞くとき、あなたは自分のマインド(我)というフィルターを通して感じるからだ。なので、さらに高度な存在で聞くというのは、相当に難易度が高い。OSHOは簡単に存在で聞くと言うが、あなたは自分の存在を理解できるだろうか。ましてやマインド(我)を通さない状態のピュアな自分を体験できるだろうか。
故にOSHOは、別の入り口を提示する。それは信じるということ。ウパニシャッドを読むときは、そこに書かれていることを、つまり自分が知らない未知なることが書かれていてもそれに対して開いて受け容れなさいという。
私的に3番目の状態を表現するなら、マインド(我)を脇に置いて、それに開いて、それを信じて、それが伝えようとする言葉の裏側を、それが指し示すものを見なさいと言う。マインドを脇に置くとは、自分が既に蓄えている情報と比較しないということで、それは2元を脇に置きなさいということ。ハートを開いてそれを信頼し内側に受け容れると言うこと。そして知性と感性を総動員して、言葉の裏側にあることを全身全霊で感じ受け取ろうとする。

しかし、ここまで書いて思うのは、ウパニシャッドは、既にあるレベルに到達したものにしかその真意は受け取れないと暗にOSHOは言ってるようにも思える。

マインドと純粋な自己を理解していて、尚2元をマインドを超えており、純粋な感受性で、つまり一つの存在として本を読みなさいと言っているように聞こえるは私だけだろうか・・・

しかし、ウパニシャッドを読む読まないにかかわらず、頭(知性)で聞く、ハート(感性)聞く、信頼で聞くという、この3つの表現は、我々が本から学ぶとき、Retreatなどで学ぶときに役つだろう。

もちろん、本に書いてあること、私がRetreatなどで話すことの正当性を確認する必要はある。しかしそれが済んだなら、信頼できると判断したなら、理論は脇に置いて聞かなければならない。言葉を通して何を伝えようとしているのか、その裏側に何があるのかを感じなければならない。そのためには、自分が知らないこと、未知なることでも、それを恐れずに心を開いて聞き、受け容れなければならない。何故なら、既に道に入っているあなた方は、未知なる世界を歩いているのだから。

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