2016年10月4日火曜日

OSHO 究極の錬金術 Ⅰ を読んで 言葉


言葉  我々は、意思の疎通を行うのに言葉を使うが、言葉はどれほどに意志の疎通ができるか考えたことはあるだろうか。そもそも言葉とは何か?言葉とはイメージを貼り付けた文字の羅列だ。だからよくシンボルといわれる。ここでこのイメージが問題になる。例えば僕がリンゴと言うときそれは、赤く酸っぱい植物の実をイメージするが、人によっては緑色のリンゴかもしれないし、リンゴ飴をイメージする人もいるだろうし、リンゴがたわわに実った木をイメージする人もいるだろう。

言葉とは、非常に粗い情報の伝達手段だ。先に書いたように同じ言葉でも、それを聞く人、使う人によって、その言葉に貼り付けているイメージが違う。言葉とはそもそもそういうものだ。だから言葉だけで何かを伝えようとしても、肝心なものがさらさらと流れ落ちてうまく伝わらない。

我々が使う情報の伝達手段は、大きくわけて、文字、声、Bodyランゲージだ。文字は例えばメールだ。では声と文字との違いは何か。そこには声の大きさ、抑揚などを使って表情を持たせることができる。例えば文字で「了解」と書いた場合は、文字通りOKととる。しかしけんか腰で「了解」と言ったときは、けっして納得してない「了解」だし、語尾が上がる「了解」なら本当に?という疑問符を伴った了解だ。

これに、Bodyランゲージが加わるとさらに、さらに表情が豊かになる。しかしそれでも尚、言葉は非常に粗い情報の伝達手段だ。そもそも言葉に貼り付けいているイメージが人によって異なるからだ。同じ言葉使っても、人によってそれの解釈が100%一致することはあり得ないからだ。それでも我々はこの粗い伝達手段である言葉を使うことでした情報を伝えることができない。

これが、言葉について、まず知っておかなければならない事柄だ。これを知った上で、我々が伝えようとしていることをどうやって受け取るかが、あなた方の課題となる。

では、我々が言葉を使って何かをシェアするとき、あなた方は何を受け取る努力をしなければならないのか。言葉には、意味(イメージ)があるが、このイメージの整合性を、つまり意味の理解を深めようとするならあなた方はポイントとをずらすことになる。例えば私が腕を上げ指さしてこれを見なさいと言った時、あなたが私の指先を見たら要点を見逃す。指が指し示すものを見なければあなたは何も受け取れない。これがどういうことか?

我々が扱うものは、目に見えないものだ。例えば、自分自身、つまりエネルギー体の自分、意識、マインド、自我、ハート、愛、etc・・・。それらは目に見えない、よってそれを直接指し示すことができない。何故ならそれを指し示しても、そこにある何かをあなたは見ることが出来ないからだ。我々は矢印のごとく、目に見えない何かを指さし、それに気づけと言い続ける。我々が使う言葉は矢印のようなものだ。だから我々の言葉を見てはいけない。我々の言葉が指し示す何かを見、感じたとき、あなたは何かを得ることが出来る。


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